大超寺新本堂落慶御礼

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本堂落慶御礼


当山は、慶長十三年、藤堂高虎公が伊賀・伊勢を統治されると、粉河の超誓寺住職 暁譽上人も高虎公に随い、上野に大善寺を開基されました。
高虎公は叔父の初代藤堂玄蕃良政公が関ヶ原の合戦で、三代玄蕃良重公が大坂夏の陣で戦死されておられるので、その菩提を弔うために暁誉上人に命じてこの寺を開基されました。その後、代々藤堂玄蕃公の菩提寺、浄土宗伊賀中本山として隆盛を重ねることになります。暁譽上人は、その後、住職を光誉上人に譲り、大善寺の隣地(南側)に超誓寺を建立して隠居されました。
明治になり、この両寺は合併されて「大善超誓寺」と呼ばれ、明治二十二年、現在の寺号「大超寺」と改称されて今日に至っています。
大正三年七月十三日、本堂床下より出火、本堂を全焼し、客殿の一部を焼失しました。そして、当時の檀信徒の皆様が一致協力し浄財を寄進され、伊勢の地にあった寺院から本堂を買い求め、移築再建されました。その後、今日まで連綿として、菩提寺を護持、復興されてこられた檀信徒各家のご先祖様のご労苦に深く畏敬の念を捧げるものであります。 
その本堂も、百年以上の歳月が経過し、建物全体が西側へ傾き、又、屋根・瓦の老朽化、大雨の日の雨漏り、土塀の崩壊寸前等で、早急の修繕を専門家より指摘されておりました。過去数度に渡り、屋根や瓦の一部の修繕がなされてまいりましたが、もはや、瓦が落下する程に傷んでおり、人や物への被害、並びに、近く起こるとも言われています南海トラフ巨大地震が心配されるような状態で、抜本的に早急な修繕が望まれておりました。
総代会で七年以上の歳月をかけ検討を加え、建設委員会を発足し、精力的に計画、予算等について審議を重ね、ついに全体計画の具体案がまとまりました。
この計画は、檀信徒の皆様を長い年月お守り下さっているご本尊阿弥陀様をお祀りする大切な本堂の新築が中心となり、子々孫々に、佛様や生きとし生けるものの命を敬う心とともに、貴重な建造物を手渡しする為の大切な事業でもあります。多額の費用を要しますので、檀信徒の皆様の全幅のご理解とご協力がなければ成就することの出来ない大事業でした。この趣旨と諸事情をご賢察賜り、絶大なるご賛同とご支援を賜り、この度阿弥陀様のご加護のもと、3年にわたる大工事が完了し、落慶を迎えましたこと、ともどもお喜び申しあげます。これひとえに檀徒総代をはじめ建設委員各位、大超寺檀信徒の皆さまの御協賛、御支援のたまものと感激にたえません。ここに厚くお礼申し上げます。
しかしながら、このような立派な本堂は、単なる飾りものであるはずは無く、皆さまの御先祖様をお祀りするのはもちろん、すべての人の幸福を祈り、仏法の興隆、更に世界の平和を願うという大いなる目的があります。
檀信徒皆様の信仰の道場であると同時に、憩いの場でもあるこの本堂を有意義に活用し、新しい時代に対して今後の方向を誤らぬよう努力精進し、皆さまとともに語り、ともにあゆんでいきたいと念願いたしております。
本当にありがとうございました。
今後とも大超寺護持興隆のためご尽力を賜りますよう心よりお願い申し上げます。                   合掌
                                              大超寺第七世  昌譽 充信