大超寺縁起
浄土宗 佛生山億土院大超寺
三重県伊賀市上野寺町1181
藤堂玄蕃公の霊を弔う寺町の名刹
藤堂高虎が粉河(和歌山県)を去って伊予国今治(愛媛県)に移り住む際、粉河の超誓寺住職・暁誉上人は高虎に付き従い、今治の地に大善寺を建立した。
その後慶長13年(1608)になって、高虎は伊賀・伊勢を統治すると、暁譽上人もただちにこれに随い、伊賀上野に大善寺を開基した。高虎は叔父の藤堂玄蕃が関ヶ原で戦死しているので、その菩提を弔うために暁誉に命じてこの寺の開基、運営を任せたのである。その後代々、藤堂玄蕃の菩提寺、伊賀中本山として隆盛を重ねることになる。暁譽上人は、その後、住職を光誉上人に譲渡して大善寺の隣地に超誓寺を建てて隠居することになる。明治になり、この両寺は合併されて「大善超誓寺」と呼ばれるが、明治22年、現在の寺号「大超寺」と改称されて今日に至っている。寺宝としては、玄蕃門と呼ばれる武家の菩提寺にふさわしい頑強な個性的様式をもつ山門が挙げられ、寺容に古雅な趣を与えている。また、藤堂家所有の鎧、甲冑などが奉納されているほか、藤堂家家臣の墓も多く見られる。墓所には、「名張美旗新田の開拓者・加納藤左衛門」の墓や、「大津事件の巡査・津田三蔵」の墓、「伊賀蕉門の俳人・山岸半残」、「伊賀最初の帝国議会代議士・立入奇一」、「日本医師会設立主唱者・冨田淳道」、「明治~昭和時代前期の実業家上野町長・田中善助」、「出口レース創業者・出口文郎」、「中国文学者・漢字学者・藤堂明保」などの墓もある。
{「伊賀百寺」(郷土出版社)より抜粋、引用}